INTERVIEW

「“壊し続ける”ミュージシャンでありたい」 中島卓偉 パーソナル・インタビュー

「“壊し続ける”ミュージシャンでありたい」 中島卓偉 パーソナル・インタビュー

今年、10月にデビュー18周年を迎えるシンガーソングライター・中島卓偉。
リスナーの人生を後推ししてくれるような楽曲とライブで魅せる圧巻の歌唱力が高い人気を誇り、日本の音楽シーンを長年担ってきたロックシンガーの一人である。中学卒業と同時に音楽への熱い想いを胸に上京、そして、インディーズからメジャーシーンへと。数々の葛藤やジレンマと戦い続けた18年間と自身の音楽への想いを真摯な言葉でトコトン語っていただきました。ファンのみならず、必見のインタビューです!(取材&文 三木万也)

―― まず、初めに音楽を始めるキッカケを教えてください。

中島卓偉(以下卓偉):“音楽が好きだ”と自覚したところからお話すると、3歳くらいの時、親父がかけているレコードを良く聴いていました。ソウルだったり、ブラックミュージックだったり、ジャズだったり、ポップスだったりと……、まぁ、ジャンルは様々だったのですが。その中で僕は当時、The Beatlesにものすごく反応していて、クリスマスや誕生日などのお祝い事にはおもちゃをねだらず、The Beatlesのレコードを小学校4年生くらいまでずっと買って貰っていたんですよね。そこから、中学生になると今度はMTVを観て、パンクの洗礼を受けまして。 “ああ、ロックかっこいい!エレキギターかっこいい!”って思って、すぐに貯めていたお年玉でエレキギターを買いました。キッカケで言うと大きくこの二つですね。

―― なるほど。エレキギターを持ってみて、ギタリストになろうとは思わなかったのですか?

卓偉:“ギタリストになろう!”というより、ギターの和音が好きだったんですよね。元々パンクってギターソロが無くて、ディストーションでガッと弾いた感じだし、The Beatlesも速いギターソロは無く、とにかくメロディーが気持ちいいじゃないですか。学生の時、組んでいたバンドでは、サイドギターでコーラスをやっていて、その時のヴォーカルがド下手で主線をちゃんと歌ってくれないから、上手くハモれなくて…。タイミングみて、“もう俺歌うわ…”と。その頃から自分が曲を書けるのを分かっていたので、良いメロディーに良い言葉をのせて書き溜めたいという欲求が強かったです。

―― その頃から音楽で食べていこうと…?

卓偉:いやいや。兄貴は勉強ができて、僕は勉強が苦手で。親父が学者であり、大学の教授だったので、厳しい家庭でして「勉強する気が無いなら、さっさと手に職つけて家出ていけ!」という男っぽいというか…、ドライな環境で育ちました。どんな職業で食べていこうか考えたときに、ファッションとかヘアスタイルとか本屋で情報を良く見ていたので、小6の終わりくらいから親父には「美容師になりたい」と宣言していたのですが、同時に遊び同然だったはずのバンド活動で経験した文化祭のステージがいわゆる“大成功”だったんです。大勢の前で歌い、大きな声援や拍手を貰う…。その夜、アドレナリンが出て眠れなくて、「人前で歌って人を説得させる職業……、ミュージシャンになるのもありなのかな」って気持ちが高ぶって、考えた末、中学卒業してすぐに周りの反対を押し切って、一人で東京に上京しました。

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